干拓事業で誕生した宇品の北側地区を歩いて見ましょう
2012年11月24日(土)

明治時代に宇品港の建設に伴い
埋め立てられてできた宇品地区。
縁あって住むことになったこの地区を知りたい。
公民館の「まち歩き」に参加しました。
宇品港と宇品の干拓に尽力したのが
県知事だった千田貞暁です。
功績は「(1)千田廟公園」の銅像
記念碑によって残されています。

銅像は右手に港の設計図を持ち
海の方を見ているようです。

公園内には、正岡子規の句碑もあります。
『行かば我 筆の花散るところまで 子規』
春は桜に囲まれて「顕彰祭」があり
秋は紅葉が綺麗です。
「(2)陸軍糧秣支廠」
「糧」は陸軍兵士の食糧
「秣」は軍馬の餌のこと
レンガ作りの立派な建物でした。
牛肉の大和煮の缶詰が作られていたそうです。
工場の大煙突の基礎部分が残されています。
被爆時に被害を受けましたが
現在は「広島市郷土資料館」となっています。
「(3)中国変電南部変電所」
被爆時の姿と変わることなく建ちつづけています。
イタリアレストランとして営業中。
宇品公民館
電車通りに面して隣り合って建つ。
南区では一番利用者が多いそうです。
「(4)神田神社」
地元の氏神様として親しまれる神社
「(5)宇品小学校」
創立100年を過ぎた歴史ある小学校。
校門の門柱は灯台を模した円柱。
「(6)高畑邸」
1931年の建築
伊予製の瓦には「鶴亀鯛」
縁起の良いものが描かれている。
「(7)千暁寺」
宇品港の建設のために
島々から働きに来た人たちのための
説教場として建てられた寺。
大みそかには鐘を突きに大勢の人が集まる。
船田船具店
2階はアンティーク用品の販売もしています。
駐車場の一画に
平和の仏像を置いて恒久平和を祈っています。


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